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大好きに生きる

日常と活動のログ・プロット

(雑文)改札の外

(気分でこんなの書きたくなりました。である調です。) 

 

 

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大音量のロックミュージックか

若干締め付けの強いヘッドフォンか

昼に飲んだ三ツ矢サイダー

タブレットの凝視か

それともこのむさ苦しい満員電車か。

 

かなり気分が悪い。

吐きそうだ。

 

なんとなく車内の酸素が薄い気がする。

お願いだから目の前の主婦たちはこれ以上無駄に二酸化炭素を増やさないでほしい。

 

あーダメだ。ダメダメ。もう降りよう。次の駅特急止まるし。

 

こういう時ってなんかすごく駅間が長く感じる。普段気にしなかっただけか。

 

そうしてお目当ての駅に到着した時、吸い込まれたんじゃないかと思うぐらい素早くヌッと出てきた。

 

ヌッと出て来てまた目の前のベンチにヌッと吸い込まれた。

 

こんなにも外の空気って澄んでいたのか...。たくさん吸い込んでベンチに座ってしばらく本を読んでいたら電車が来た。快速。スルー。

 

また来た。準特急。やったぜ。

 

乗ろうとする。降りる人と入れ替わりでのrだぁぁ吐きそう、ダメだ、戻ろう戻ろう。

 

 

もういっそのことトイレでぶちまけて来ようかな。

と改札階に降りた時、改札の外にパン屋が見えた。

というか見えるまでもなく、階段を降りる段階から。階段を降りる段階からなんとなく感づいていた。

 

食べてぇ。パン食べてぇ。

 

その誘惑はトイレの中にさえ充満していて、戻すどころか入れてしまいたかった。

 

でもパン屋は改札の外。

 

一旦改札を出てしまえばこの切符は無駄に...。

 

でもあのパンを食べれば回復する気がするんだよなぁ...。

 

パン食べたい。パンを食べたい。パンを食べたい。

でも切符...。パン....。切符...。パン...。kippu...。

 

 

...。

ゆとり

(個人の一意見です。異論を唱えるのは構いませんが、吊るし上げて袋叩きにするのはやめてください)

 

先日、ある個人業者の方とお話しする機会があったのですが、その中で気になった言葉に「ゆとりの子たち」というものがありました。

 

ゆとり世代」って、あんまり良い文脈の中では登場することがないような気がしますが、その時も同じくマイナスな意味で使われました。何かと叩かれますよね、ゆとり世代って。

 

ゆとり世代は確か1987年生まれの人から2004年生まれの人を指す言葉です。

意外と初代ゆとり世代の人はもう30歳なんですよね。

 

ちなみに僕は高校時代から脱ゆとりの波にのまれてます。自分では「半ゆとりだ」と思ってますし、その個人業者の方(以下Aさん)にもそう言いましたが、その主張も虚しく「ゆとり」に括られてしまいました。まぁその主張自体が虚しいものなんですけどね。わかってます。

 

やっぱり不快でしたね。僕がゆとり世代であるのは事実に変わりないのですが、ゆとり世代の言動や思想が何かと世間で揶揄されているのを見ると、自分もその同族であることに嫌悪を覚えます。誇りは持てませんね。

 

「戦争や争いをなくすためにはどうすれば良いか意見を聞かせて欲しい」と言われたので「個人の私利私欲を拡大させ過ぎると誰かが不幸に...」と言ったところで「あー違う。やっぱりゆとりの考えだね。」と話を遮られてしまいました。

 

「僕の考え」が「ゆとりの考え」と一括りにされたことが不快でした。事実そうだとしても。

それに、僕の考えがそのままゆとりの考えとしてそれを頭から否定されたことにも。

 

昨日の話通してAさんの言ったことには「なるほど」と感心させられることは多かったのですが、唯一、この様に僕の発言を直ぐに遮り否定してくる点も終始不快でした。

 

まぁ話を戻すとして、ここで疑問。

果たして「ゆとりの考え」って間違っているのでしょうか。

一意見として受け入れられないのでしょうか。

「これだからゆとりは〜」というセリフはよくネットでも見受けられますが、 そういう教育を受けてきた以上、(個人個人の考えは違えど)世代全体としてそういった「ゆとり思考」を持ってるのは確かじゃないですか。

僕らが「正しい」と思った考えは上の世代の方からしたら「"普通"ではない」ケースがちらほらあるわけですよね。

自分たちの常識、価値観と違っているだけで問題視して騒ぎ出すのはいかがなものでしょうか。「新しい考え」が出てきただけでは?

確かに例えば「運動会の駆けっこで最後はみんなお手てを繋いで一緒にゴール」というのは、僕もどうかな(それが競争であるという性格の元で)、と思うわけですが、そう定めた、定めさせた人らからしたらそれが正しいわけです。

自分が「正しい」と思っていることを疑うなんて自己啓発オタクじゃない限りしませんよ。民衆はね。

僕の右の主張が僕の経験不足からくるなら僕がまだ「青い」「未熟」なだけです。

全てを「ゆとりの考え」と括って退けるのはおかしいです。

 

そもそもどの世代にもおかしい人は何人もいますよ。たまたまそれが目立って、その人が20代だから帰納法で「ゆとり〜」って世代全体を叩き出すんですよ。

 

ちなみに僕は「自分がゆとり世代であるということ」「だからというだけで"僕の"考え、発言が全て『ゆとり〜』と嘲笑される」ことに憤りを感じています。ゆとりコンプレックです。悔しいんです。

 

ゆとり教育」は終わりを迎えましたが、次はゆとり世代が親になる時代です。

先ほども電車のドアが開いた瞬間に親が若い家族のお子さんが降りる人を押しのけて入って行きました。親御さんは何も咎めておらず、なんだか不安になりました。ゆとりでありたくない同じゆとりの一人として。

 

だから勉強するんでしょうけど。

WARI

今のバイト先、時給は1000円なんですけど交通費なしなんですよね。

片道平日は360円、休日は280円。通勤には1時間半かかるんです。

結構割りが良くないんですよねぇ。出勤時間を何かに生かそうと読書してるんですが、帰りとかは満員電車で正直読書どころじゃないです。

渋谷→明大前はまぁ何とかなるんですが、明大前→八王子橋本方面の京王線が必ず混んでます。

あえて新宿まで行って折り返しで帰ってくるってのもアリですけどね。なんか、そこまでしなくてもなぁって感じです。

そして何も交通費だけの出費じゃないんですよねぇ。昼飯+コーヒー代があるんです。これが大体200円。

 

合わせて760円〜960円ぐらいでしょうか。なんか計算あってないかな?

とにかく一ヶ月にこんな事で1万近くも給料から引かれるわけです。

 

実労働は5時間〜5時間半。なので、これって実際僕が利益得られるの4時間〜4時間半の賃金なんですよね。

さらに移動時間だけで3時間かかってますからね。

 

ん...職場変えようかなぁ。正直接客もないし、仕事内容もそんなキツくないです。なんかやたら急かされますけど。

最低来年の3月いっぱいはそこで働きます。

 

次は隣駅で働くかなぁ。

かたかちかつかて

 

暖かくなってきましたね。最近バイトでのミスがまぁ目立つこと目立つこと。

作業中は別の事しか考えてないんでね。単純作業が続くと尚更ですよ。

仕方ないです。僕の思考グセがどうとかではなく、人って1日に15万だったか1万5000だったか1500だったか、5万だっけ?そんぐらい考え事してるらしいです。間違ってたら後で訂正しときます。

まぁ間違えて間違えて成長すれば良いのです。一生未熟でいたいのです。

 

僕の父親に言われた事で印象深い言葉があります。

「ホンモノを持て」

高2の頃に勉強頑張ってるかなんかでギターを買ってもらった時に言われた言葉です。

僕はtelecasterが欲しかったので、この場で言うホンモノとはfender社のものでしょうか。

telecasterとラベルをつけて販売できるのはfender系列の会社だけなんで、そうですね。

どっかのサイトからふらっとたどり着いたギターオタクの人は異論があっても突っかかってこないでください。めんどくさいんで。

結局僕が買ってもらったのはfender mexicoのcabronita telecaster thinlineです。

現在でもメイン機ですし、生涯メイン機です。

これ2014年にしか製造されてないんであんまり流通してません。

「ホンモノ」でfender mexicoってどうなのよって正直自分でも思うんですけどね。

まぁだから限定生産のもの買ったのかも知んないですね。

 

「ホンモノを持て」という思想と相まって僕の哲学になってるのは「モノの価値をわかる。相応の対価を払う」ですね。

これはもう最近実感したものですが。

 

きっかけって言ったらやっぱ服ですね。古着ばっか買ってたりメルカリでそこそこのブランドの服が安めに放り投げられるのを池の鯉のように待ってました。

古着買うことが悪いことというわけではないのです。下北や高円寺で古着屋巡りするのは良い趣味だと思うんです。僕は以前はそれすら高いって思ってましたから。毎日メルカリ見ながら「あー。たっけぇなおい。もうちょっと安くしろよ。」なんて思ってました。

古着とはいえ、誰かが着たからってその服の本来の価値は失われてはいないのです。

 

もう古着趣味はなくしました。

これからは服は新品で、かつ店舗で買うことが増えるでしょうし、古着にしてもメルカリじゃ買いませんね。

 

あと、オークションとメルカリの値下げ交渉の様子を嫌ほど見たし実際にその相手をした経験からも来てますね。

 

最近見て呆れたのはRickenbacker 330(新品で30万ほど)を9万で出品していた人に向かって「1万になりませんか?」とほざき上げてた人を見たことですね。

いやいや、9万でも十分安いですよ。中古相場は最近の生産のものだと12〜25万ぐらい。もし探していたのなら即決でした。

他に出品されてたrickenbacker達もそうやってモノの価値を理解しようとしない人たちの餌食になってました。

330なら11万以下で出品されてたら出品者の懐の広さに感謝して黙って買うべきです。

 

かくいう僕もrickenbacker欲しいです。どうせならヴィンテージが欲しいです。めちゃくちゃ高いです。10月まで貯金でしょうか。その前にギター練習しろってな。

 

 

ファニーアンドアグリー

明大前駅に着いた時、目の前の妖麗なOLさんに席を譲ったつもりで悠々と立って僕が肉壁となりお姉さんをエスコートしたつもりでしたが、脇からスッとご老人が。死角でした。まぁいいんだけど。

上の文、自分で書いておきながらキモい。童貞は文豪なのです。

 

昨日も電車内で本を読んでいたら横の野球部っぽい高校生がご老人に席を譲っていました。

立派です。感心ですよ。

 

僕は全く気が付きませんでしたもん。本読んでましたからね。いや正当化しようとかそんなんじゃなくてね。

 

見識を広げようと、まぁ大袈裟な言い方すれば いろんなものを見ようとして本を読んでいるのに、こんなにも身近なものが見えてなかったのかと恥ずかしくなります。

 

あーなんか文章下手だなちくしょう。一文目もなんか読みづらいとは思ってたんですが書きなおすのめんどいんでほっといてます。

 

これ関連で痛い話があるんですよ。

小学生の時ぐらいかな、PSPを買い与えられた僕はまぁずーっとゲームばっかしてまして。

あるとき母親の実家に遊びに行ってたときも、せっかくの機会なのに相変わらずゲームばっかしてたんですよ。

寝そべってpspを天に掲げた僕の頭上から声がしました。おじいちゃんです。

「なんができよんかー?」って。

何してるの?ってニュアンスだと思います。

僕はゲームに集中してて、「鬱陶しいな」って思っちゃいました、正直。

馬鹿ですねぇ。ほんと馬鹿です。

おじいちゃんはその後僕が中3になった頃に亡くなってしまいました。

 

遠くのものやありもしない世界に手を伸ばすばっかりじゃダメなんですよねぇ。

時には必要ですけど。

目の前にいる人をぞんざいにしてまでする必要はないと思います。

 

「目の前でスマホいじってる人がその時意識を向けてるコンテンツよりも面白い存在でありたい」ってのが僕の信念です。キモいですか。はい。いいんですいいんです。

 

「ぞんざい」って漢字はないんですね。僕が間違ってんのかと思いましたよ。

ちょっと思ったこと

少し前に家で飲もうとして淹れた紅茶。

 

ベッドのそばに放置してて久しぶりに覗き込んだらびっしりカビが生えていていてショックでした。もひすです。

 

500円玉ってなんか1000円札よりリッチに見えますよね。

なんででしょうか。500円玉ってなんか使いたくないんですよね。

 

500円玉貯金でもしようかな。

目と鼻の先

目と鼻の先って、現実で言うと超近いですよね。

 

京王線の中。僕の鼻32個分ぐらい先に男の人がいます。

 

なんか、頭についてるんですねぇ。

 

ゴミかな?と思って、じっとみてたら桜上水駅でちょっと体の向き変えたんで、目視出来たんですが。

 

桜の花びらでしたね。

 

おぉ、めでてぇなって。めでたくないですか、なんか。

 

頭に桜乗っけてる人初めて見ましたよ。

 

この人いつ気付くんでしょうか。

 

桜上水駅で降りて欲しかったです。なんちゃって。