原因を推論する

 

 

とにかく僕は走った。

 

これを書いている僕は今かなり焦っている。

 

この時点で11時から予約していた整体に遅れてしまっているんだ。

 

11:40に予約したものと勘違いしていた。

 

シャワーを浴びて部屋に戻っていざ財布の中の受付票を見て気づいた。

 

 

 

(やらかした。)

 

 

そんな思いが頭をよぎった。

 

 

時はすでに10:03。都心の整体に通っているため家を出て1時間ちょっとかかる。1時間前に出ても遅いのだ。

 

そしてこんな日に限って電車は遅れる。なんの謝罪も、いや、別に駅員さんは悪くないが、何も言われないとなるとちょっと違和感はある。僕が悪いのではあるが。

 

 

今日という1日は、朝までは完璧だったんだ。

朝5時に目が覚めて森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」を読み終え、カタルシスに浸り、NISIAの「everything 」を聴き、曲が盛り上がるところでーーーーあっそうだ。あの瞬間から僕の1日は狂い始めたのかもしれない。ラストのコーラスの途中。7:50にipadのアラームが曲を阻止したんだ。本当に空気が読めない。

そこから冷凍グラタンを食べ(ちょっと生ぬるかった)muddy waltersのGot my mojo workingの映像を観て、ブルースハープのソロの映像と一緒に鼻をかむの面白いな、アハハ(本当にバカバカしい)とか思ってシャワーを浴びた。

 

 

シャワーを浴びて部屋に戻っていざ財布の中の受付票を見て気づいた。

 

 

 

(やらかした。)

 

 

11:40に予約したものと勘違いしていた。

 

この時点で11時から予約していた整体に遅れてしまっているんだ。

 

これを書いている僕はかなり焦っている。

 

とにかく僕は走った。

 

F

 

フジファブリックが新曲を出した。

「電光石火」という曲だ。

 

Apple musicで探し、曲を再生する。

そして「そうか」という声とともにヘッドフォンを外す。

 

まだワンコーラスしか聴いていない。

 

どうやら僕は違うバンドの曲を再生してしまったみたいだ。

フジファブリックって表示されてあるけど、僕は間違ったみたいだ。

僕は違うバンドの曲を再生したみたいだ。

 

彼らのサイトやクレジットに「志村正彦」の名前が記載されなくなってもう数年が経つ。

 

フジファブリックを辞めなかった理由は「志村が始めたバンドを勝手に終わらせるわけにはいかなかった」からだそうだ。

 

「ずっと青春していたかった」

志村の青春はフジファブリックだった。

 

僕はそんな志村の死と同時にフジファブリックを終わらせるべきだったと思う。

彼の死と同時に彼の青春も終わったのだ。

 

曲を聴いて「こんなのはフジファブリックではない」というのとは違う。

長らく音楽を作り続けているれば曲調が変わることなんて普通のことで、くるりだって「君がいるかなぁ〜」とか言ってたのに別の曲じゃヒップホップをやっている。

でもそれは作詞作曲者が同じな場合の話で、フジファブリックに関してはもう全てが違う。

 

彼らにはバンド名を変えてメンバーも一新して活動して欲しかった。

Joy divisionなんかいい例じゃないか。彼らは彼らで事情があったのだけど。

 

「echo」や「green bird」には感銘を受けたが、それはフジファブリックというバンドに対するものというか、ある一曲一曲に対してのものである。

 

僕の友人の中には、たまにフジファブリックを知っている人もいるが、大抵は2010年以降のフジファブリックしか知らない。

 

ボーカルの名前すら知らないんだから、志村のことは「死んじゃった人」程度であろう。

 

2000年代に比べ、今の2018年は大きく変わった。

あらゆることが便利になった。もう当たり前すぎて、何がどう変わったかすらもすぐには思いつかない。

 

2010年以降、いろんなバンドが出てきては去って出てきては去った。

十分な才能とカリスマ性を備えたバンドだって出てきた。

そう、Apple musicだって出てきて、音楽を探しやすくなった。

僕に関していうと、部屋にたまったディスクガイドをやっと開き始め、やっと音楽を探す旅をまた始めたんだ。

 

これからもまた新しいミュージシャンが出てくるだろう。

でももう志村正彦が作るような音楽を聴かせてくれる人は出てこないのかもしれない。

 

曲云々より、最近はデジタル処理が過剰すぎるんだ。耳が受け付けない。

 

ここまで書いて「地平線を越えて」を再生する。

志村が亡くなって、もう10年が経とうとする。

 

トキオリ

 

 

とても汚い言葉を使ってしまった。

 

僕じゃなかったみたいだ。あれは誰が言ったんだろう。

 

とっさに出た。挑発的なことを言われたんだ。

 

僕のどこかでプチっという音がして、次の瞬間にはその言葉が出た。

 

ふわっとした感覚がした。

確実に、その瞬間だけ別の人格が乗り移った。

 

皆驚いていた。

普段の僕なら、絶対に言わないはずの言葉だ。

 

僕はすぐに謝った。

 

謝ったというものの、やはり気分が悪い。

 

僕の中には、やはりかなり過激なキャラクターがいる。

僕が今まで起こしてきた人間トラブルはいつもそいつが引き起こしていた。

 

そいつが放つのは、理性のない、論理もない、めちゃくちゃで、人を傷つけるためだけの鋭利な言葉だ。

 

その武器で怒らせた人がいる。1人だけじゃない。今まで、たくさんだ。

 

僕は日々新しい人間に生まれ変わっているが、その過激なキャラクターは完全に押さえつけなきゃならない。

は?

 

サルでもわかる!posレジの設置方法!」

 

そう言える根拠は何だ。実際にサルに設置させたのか。

サルが設置できるんならサルに設置させればいいじゃないか。

そんな、1日に何台も設置しないんだから、一匹いれば十分だ。その一匹をposレジ設置巡業に回せばいい。

「わかる」というが、これを書いた人はサルと意思疎通できるのか。

サルが人間の説明聞いて「うんわかったよ」とでも言ったのか。というかそう言うからには複数のサンプルを取ったんだろうな。

そもそもここで「サル」を取り出す理由は何だったのか。別に魚でも猫でもよかったじゃないか。

「でも」ってなんだ。暗にサルのことを見下してないか。何をもってあなたがサルより優れてると言えるのか。

あなたはサルの何を知ってるのか。霊長類学者か?霊長類学者がこんなとこで働いてるのか?

 

サルと人間はルーツが一緒なだけでもう別の生き物だろう。サルにできて人間にできないことがあっても当たり前である。

ならサルが設置できて人間が設置できなくても何も問題ないんじゃないか。別の生き物だし。

木に登れないことを気にする人間がどれだけいるんだろうか。

「サルにposレジの設置ができる」

 

....だから何、という話だ。

 

「サルならできる」にしてもいいんじゃないだろうか。

 

バカげている。

あなたが「値下げ」という言葉を一度発するたびにあなたはひとつ卑しくなり、また僕はひとつあなたが嫌いになる。

 

僕は、これは以前やっていたTwitterでも散々言ったことだが、メルカリにおいて値下げ交渉する人間を心底嫌っている。

 

もう値下げ交渉ができて当たり前みたいな体裁でコメントしてくるんだから図々しいこと限りない。

 

メルカリは「値下げ文化」と「送料込み」というクソ文化をこの世に蔓延らせ、頭の悪い日本人を増やした諸悪の根源。断定的な言い方だが、僕はそう思っている。

 

そもそも値下げ交渉する程度のものはそんなに欲しいものではないんじゃないかと思う。

 

最近はヤフオクにも。「オークション」にも値下げの文化を持ち込もうとする頭の弱いやつが。頭の弱いやつが出てきた。

 

正直、あゝいうので値下げ交渉する人間とは友達になりたくない。

 

「節約」だとかなんだとか言って「値下げ交渉する方が合理的」だという人間とは口も聞きたくない。この世は合理的なものだけでは生きていけない。

 

だいたい、服にしろ、音楽にしろ、普段使う機器にしろ、必要最低限以上のものは即ち贅沢だ。

 

この前、メルカリで「Iphone X」と検索し、それぞれの商品ページを見たとき、案の定値下げの嵐にあっていた。

 

「5万でどうですか!」「もう一回値下げしましょう」「仕事で必要なんです!6万でお願いします!」

 

 

笑いが抑えきれなかった。

なぜそこまで必死になってiphone Xを買おうとするのかが僕にはわからない。

 

僕は未だにiphone5を使っている身だが、それで困ることは特にない。

確かに、2時間程度で充電が切れるのは唯一の困りごとだが、普段そこまで人と連絡を取ることはないし、仮に多く連絡を取るようなライフスタイルならバッテリーを変えるかiphone 6にでも買い換える。

IphoneXじゃないといけない理由がちょっとわからない。その理由を最低5つでもあげられないと、それは毒されてる証拠だ。テクノロジーに操られちゃいけない。

 

ってかXが必要な職種ってなんなんだよ。

 

この世の闇だ

 

服だって、ユニクロのオックスフォードシャツ3枚とアウター一着とジーンズだけあればワンシーズンしっかりと過ごせるし、僕は去年の春はそうやって過ごした身だ。

一応言っておくと僕は人よりファッションに関心が高いと自覚している。

 

Lad musicianもJohn Lawrence Sullivan もYohji yamamoto も、普通に贅沢品だと思う。

わざわざ値下げしてまで着るのは恥ずかしくはないのだろうか、普通に身分不相応であると思う。

 

 

「メルカリをやったことがない」という親族や友人には「絶対にやらないように」

と釘を刺してある。

 

話が逸れ気味。

 

いつも気になってたのは値下げ交渉もそうだが、いちいち枕詞を挟んでくる人だ。

 

「不躾で申し訳ないのですが」「お気を悪くされたら申し訳ないのですが」「大変失礼な質問なのですが」

 

いちいちこんなことを言われると、「ああ、こいつは失礼で不躾で僕の気を悪くするやつなんだな」と感じる。

 

クッション入れときゃ何言ってもいいってわけじゃない。

 

というか、わかってんなら言うなよ。と思う。

 

なんか、相手の利益は減ってもいいから自分が安く手に入れられればいい、という魂胆が気に食わない。

 

 

4月

 

さっき散歩してる時に、ふと路地に咲いてる花に目を向けました。

 

むらさき、えんじ、きいろ

 

これってどうやって色が決まってるんでしょうね。

 

なんで紫の花は色が紫なんでしょうね。ごめんなさいねちょっとアレな疑問で。

でもとっさに言われて答えられます?

 

 

少し前にブログで「彼女が欲しい」という表現をしました。

 

気の合う誰かがぼくの恋人となる。そのイメージへの願望(というとちょっとお堅いですが)を「彼女が欲しい」という言葉で表しました。

 

ただ、ぼくはこの言葉を口にするのを少々ためらいます。結局、代替表現が見つからず「彼女が欲しい」と言ってしまうのですが。

 

「欲しい」

なんか、まるで相手がモノであるかのような表現だと思うんです。

 

へそ曲がりですか。でも言われてみたらそう感じませんか。

 

欲しい、というのは、自分のものにしたい、という所有の欲求を意味する言葉です。ソースは広辞苑です。

 

それぞれの人間はモノではありませんし、誰一人として自由であり、誰かの所有物にはなり得ません。

(あぁ、これは個人のブログなんでこういうとこでいちいち揚げ足取ろうと躍起にならなくてもいいですよ。)

 

婚約相手が他の誰かを好きになろうとも、それは仕方のないことです。

 

彼女が欲しい。

 

なんか、恋愛や恋人が自分の寂しさを紛らわすためのコンテンツの1つ である、かのようなニュアンスを含む表現に感じられてならないんです。

 

恋人は自分の不満、不足を補うためのものじゃないと思うんですよ。

 

所詮他人なんですけど、自分のように大事にしたいです。

 

相手にそれを求めるのはちょっと苦ですけど。重いですし。

 

「彼女と過ごすための時間がない」っていうのが、恋人を探そうとしない理由の1つです。

 

“30代 愛する人のためのこの命だってことに ああ気づいたな”

 

僕の命はまだ僕のためのものです。

 

でも...やっぱ彼女....。あ....。

いい表現ありませんかね。

トレードオフ

 

彼女欲しい。

 

けど、今後の僕の人生は道無き道を歩くことになりそうで

収入もきっと安定しないだろうから

そういったことに大事な人を巻き込むわけにはいかない。

 

付き合ったらどうせなら結婚まで考えたい。誰よりも幸せにしてあげたい。

 

けど、結婚して子供までできればもう好き勝手はできないし、地に足をつけて毎日頑張らないと、家族を食わせてあげられない。

 

なら彼女は作れないな。

 

 

 

ははーん。かなり面倒な人生を選んだな、僕は。

 

毎月30〜40万をコンスタントに稼げるようになれば考えものだと思う。

 

子どもがいなくて共働きとかであれば結婚したいが、「子どもはいいや」っていう女性と巡り会えるかが問題だ。最初はそうでも後から気が変わられたら困る。

 

どうだろう。

 

彼女欲しい。