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ワガママ

帰りたい過去があった。

 


Number Girl - OMOIDE IN MY HEAD (Live at SHIBUYA ROCKTRANSFORMED)

 

さっき実家のパソコンの写真を整理していた。主に中学高校時代のものだ。

忘れかけてたあのころが色形をもって目の前に現れてくる。

写真とは不思議なもので、視覚的な事はもちろんのこと、撮ったその当時の状況や質感までもリアルに思い出してしまう。

そうしていつものように。悪い癖で、またいつものように、こんなこともあったなぁとノスタルジックの快楽に身を沈めながら何枚か眺めているうちに、気がついた。

 

なんとなく、もう戻らなくていい。

 

初めてそう思った。なんとなくの使い方が間違ってるのはわかってるが、紛れもなくそれは「なんとなくもう戻らなくていい」という感覚だった。

あれだけ感じてた、過去へ帰りたいという衝動がなくなっていた。

そもそも、「戻りたい、帰りたい」というのもただの現実逃避が叫びとなっただけだった。戻りたい、帰りたい。今の現実から逃げたいだけだったというのは常にわかってた。

 

僕の中では特定の過去が人生で一番楽しい時期だった。それは去年の3月から更新されていない。少し前にあったことがベストではなく、あのころ、がベストなんだ。普通この時が一番楽しいだなんて思わない。永遠に楽しいまま残しておくなんて不可能だから、すぐ目の前の未来へ乗り移るんだけど、次の幸せなどなかった。

 

そんなわけで僕の意識は過去に行ってた。過去の快楽へ目を向けることで、ままならない退屈な現在を見ないことにしていた。そのせいでますます拗れて行ったが知らないふりをした。

あのころが戻ってくることはあり得なかった。だから一層愛おしい。来ないとわかってるなら諦めた方が良いのか。溺愛して膨れ上がった過去の妄想によって盲目になりかけた。本当はやらなきゃいけないことがいっぱい。だけどやりたいことじゃない。前へ進めなかった。

 

そんな中、幻想が解けた。どうでもなかったんだと気付いた。

そんな過去はなかったんだ。ほぼ恥ずかしい妄想だった。気付いた。根拠なんて初めから問題とされてなかった。

でもだからと言って前へ進もうとは思えなかった。何を愛して生きればいいかわからなくなってきた。

今意識は過去と現在の間で宙ぶらりんになっている。僕はこのまま宙ぶらりんの宇宙の中で浮いておきたい。未来のことは基本見たくない。

 

やっぱり僕はどこへも行けなかった。茅ヶ崎、静岡、浜松、豊橋、大垣、京都、姫路、播州赤穂、岡山、下関。いくら非日常へ飛び込んでもいつまでもそこに居られるわけでもないし、そこは初めから僕の居場所になることはなかったんだ。

結局日常の中にはめ込まれてしまう。仕方なかった。

 

でも無意識に「いつも」が好きなんだ。いつもに退屈を感じ不満を漏らすも、変わらない日常が良かった。

バイトを始めたものの、労働中は未だに「布団の中でずっと寝ていたい」と常に感じる。布団の中でじっとしてたころは退屈でたまらなかったのに。

ここじゃないところを求めた後に、やっぱりここが良かった。と思う。いつも。

 

幸せとはなんだろう。「ここじゃないところ」がそうであるならば、そこに行った僕は幸せになれるのだろうか。絶対なれない。またここじゃないところにいきたがるからだ。

僕はいつも幸せを追い求めてる。幸せに乗ったつもりでもすぐ振り落とされて。また次の幸せに乗ろうとしてる。でも正直どこが僕の幸せかわからない。

 

今の僕は幸せだろうか。わからない。僕はどこに今乗ってるかわからない。自分の居場所を踏みしめてなかった。

じゃあ不幸せか?それは違う。不幸せではないけど、幸せかと言われるとどうだろう。

生活的に不自由を感じているわけではない。ただただ退屈なんだ。退屈な人生が幸せというだろうか。問いてねぇで自分でどうにかしろってね。

 

辛いけど、いまを生きるしかない。と聞くと歯がゆくなる。ここから連れてって欲しかった。完全な甘えである。

 

omoide in my headな僕からどんどんomoideがするすると抜けてく感覚がした。

もうどうでもよくなりつつある。やっと「あのころ」が終わった、もうないものとして受け入れられる気がした。でも現実を前にすると挫けそうになる。

 

人生ってフィクションであってほしい。生きるってフィクションであってほしい。大人以降って。