月曜日からButcher

ただの日記だバーカ

ゆとり

(個人の一意見です。異論を唱えるのは構いませんが、吊るし上げて袋叩きにするのはやめてください)

 

先日、ある個人業者の方とお話しする機会があったのですが、その中で気になった言葉に「ゆとりの子たち」というものがありました。

 

ゆとり世代」って、あんまり良い文脈の中では登場することがないような気がしますが、その時も同じくマイナスな意味で使われました。何かと叩かれますよね、ゆとり世代って。

 

ゆとり世代は確か1987年生まれの人から2004年生まれの人を指す言葉です。

意外と初代ゆとり世代の人はもう30歳なんですよね。

 

ちなみに僕は高校時代から脱ゆとりの波にのまれてます。自分では「半ゆとりだ」と思ってますし、その個人業者の方(以下Aさん)にもそう言いましたが、その主張も虚しく「ゆとり」に括られてしまいました。まぁその主張自体が虚しいものなんですけどね。わかってます。

 

やっぱり不快でしたね。僕がゆとり世代であるのは事実に変わりないのですが、ゆとり世代の言動や思想が何かと世間で揶揄されているのを見ると、自分もその同族であることに嫌悪を覚えます。誇りは持てませんね。

 

「戦争や争いをなくすためにはどうすれば良いか意見を聞かせて欲しい」と言われたので「個人の私利私欲を拡大させ過ぎると誰かが不幸に...」と言ったところで「あー違う。やっぱりゆとりの考えだね。」と話を遮られてしまいました。

 

「僕の考え」が「ゆとりの考え」と一括りにされたことが不快でした。事実そうだとしても。

それに、僕の考えがそのままゆとりの考えとしてそれを頭から否定されたことにも。

 

昨日の話通してAさんの言ったことには「なるほど」と感心させられることは多かったのですが、唯一、この様に僕の発言を直ぐに遮り否定してくる点も終始不快でした。

 

まぁ話を戻すとして、ここで疑問。

果たして「ゆとりの考え」って間違っているのでしょうか。

一意見として受け入れられないのでしょうか。

「これだからゆとりは〜」というセリフはよくネットでも見受けられますが、 そういう教育を受けてきた以上、(個人個人の考えは違えど)世代全体としてそういった「ゆとり思考」を持ってるのは確かじゃないですか。

僕らが「正しい」と思った考えは上の世代の方からしたら「"普通"ではない」ケースがちらほらあるわけですよね。

自分たちの常識、価値観と違っているだけで問題視して騒ぎ出すのはいかがなものでしょうか。「新しい考え」が出てきただけでは?

確かに例えば「運動会の駆けっこで最後はみんなお手てを繋いで一緒にゴール」というのは、僕もどうかな(それが競争であるという性格の元で)、と思うわけですが、そう定めた、定めさせた人らからしたらそれが正しいわけです。

自分が「正しい」と思っていることを疑うなんて自己啓発オタクじゃない限りしませんよ。民衆はね。

僕の右の主張が僕の経験不足からくるなら僕がまだ「青い」「未熟」なだけです。

全てを「ゆとりの考え」と括って退けるのはおかしいです。

 

そもそもどの世代にもおかしい人は何人もいますよ。たまたまそれが目立って、その人が20代だから帰納法で「ゆとり〜」って世代全体を叩き出すんですよ。

 

ちなみに僕は「自分がゆとり世代であるということ」「だからというだけで"僕の"考え、発言が全て『ゆとり〜』と嘲笑される」ことに憤りを感じています。ゆとりコンプレックです。悔しいんです。

 

ゆとり教育」は終わりを迎えましたが、次はゆとり世代が親になる時代です。

先ほども電車のドアが開いた瞬間に親が若い家族のお子さんが降りる人を押しのけて入って行きました。親御さんは何も咎めておらず、なんだか不安になりました。ゆとりでありたくない同じゆとりの一人として。

 

だから勉強するんでしょうけど。