4月

 

さっき散歩してる時に、ふと路地に咲いてる花に目を向けました。

 

むらさき、えんじ、きいろ

 

これってどうやって色が決まってるんでしょうね。

 

なんで紫の花は色が紫なんでしょうね。ごめんなさいねちょっとアレな疑問で。

でもとっさに言われて答えられます?

 

 

少し前にブログで「彼女が欲しい」という表現をしました。

 

気の合う誰かがぼくの恋人となる。そのイメージへの願望(というとちょっとお堅いですが)を「彼女が欲しい」という言葉で表しました。

 

ただ、ぼくはこの言葉を口にするのを少々ためらいます。結局、代替表現が見つからず「彼女が欲しい」と言ってしまうのですが。

 

「欲しい」

なんか、まるで相手がモノであるかのような表現だと思うんです。

 

へそ曲がりですか。でも言われてみたらそう感じませんか。

 

欲しい、というのは、自分のものにしたい、という所有の欲求を意味する言葉です。ソースは広辞苑です。

 

それぞれの人間はモノではありませんし、誰一人として自由であり、誰かの所有物にはなり得ません。

(あぁ、これは個人のブログなんでこういうとこでいちいち揚げ足取ろうと躍起にならなくてもいいですよ。)

 

婚約相手が他の誰かを好きになろうとも、それは仕方のないことです。

 

彼女が欲しい。

 

なんか、恋愛や恋人が自分の寂しさを紛らわすためのコンテンツの1つ である、かのようなニュアンスを含む表現に感じられてならないんです。

 

恋人は自分の不満、不足を補うためのものじゃないと思うんですよ。

 

所詮他人なんですけど、自分のように大事にしたいです。

 

相手にそれを求めるのはちょっと苦ですけど。重いですし。

 

「彼女と過ごすための時間がない」っていうのが、恋人を探そうとしない理由の1つです。

 

“30代 愛する人のためのこの命だってことに ああ気づいたな”

 

僕の命はまだ僕のためのものです。

 

でも...やっぱ彼女....。あ....。

いい表現ありませんかね。